2011年03月11日

死して残るもの

「もしあたしの心臓がいつか鼓動を止めてしまったら、どうなるの?」

「その時は、お前の時間もおしまいになる。あるいは、こういう風にも言えるかも知れないね。お前自身は、お前の生きた年月の全てをさかのぼる存在になるのだ。(以下省略)」

「モモ」/ミヒャエル・エンデ作より抜粋


「生きた年月の全てをさかのぼる存在」・・・・・・これが自分。

「あれをやりたいと思い続けたが環境がそれを許さなかった」などともっともらしい理由を付けてみたとしても、さかのぼればその部分も含めて自分の偽らざる存在そのものと言うことですね。


「これだけ時間があるじゃないか」とわずかな毎日の時間を積み重ねて何かを達成することも、「これしか時間がないから始められなかった」と結局何もやらないで年齢だけ重ねていくのも全て「自分」が決めてます。



「ここに時間がありますよ」、「始めるには今がチャンスですよ」

などと言ってくれる時間は、いくら待っても来やしません。
なぜなら時間はあるものではなく、自分から作るものだからです。

やることが明確でそれに本気であれば、時間の使い方が自ずと変わります。

逆にただ何となく生きている人は、ただ何となく流れているテレビに目が行き、ただ何となく見ていて、気付いたら何となく1日が過ぎてしまい・・・・
「あら!もうこんな時間!」

で、あとは歯を磨いて寝るだけです。

この繰り返しで、おしまいです。


たった一度の自分の人生です。

言い訳のない生き方をしたいものです。




・・・・◆・・・・・◆・・・・・◆・・・・・◆・・・・・◆・・・・
ご覧頂き感謝です。
宜しければ左斜め下クリックにご協力お願いします。
にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
にほんブログ村
・・・・◆・・・・・◆・・・・・◆・・・・・◆・・・・・◆・・・・
posted by 桃缶 at 00:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする