人間関係の円滑さは、親密な関係と言えます。
その親密な人間関係を築く上の大前提として、「自分は自分」という自己肯定感が必要です。
その「自分は自分」とは、どういう意味か?
自己肯定感のある人は、親密な関係を相手に求めた時に、たとえ相手がそれを拒否しても別段相手を恨むことなく距離がおけます。
また、自己肯定感のある人は、上下関係のない対等な人間関係を結べる人でもあります。
ここで言う「自分は自分」とは、互いに自律した関係であり、相手のこころのお世話や、問題によって引き合っていない、寄り掛かっていない関係です。もちろん弱みなど握られていない関係です。
もし、あなたが相手の問題に必要以上に介入したくなったり、あなたの手助けが必要のない自律している人と一緒にいるとなんだか落ち着かないという経験がおありでしたら、それは親密な関係を築いているとは言えません。
その状態は心理学でいうと、適切な高さで自己を評価できない「自己愛の障害」、そして相手の世話を焼いたり、相手に頼りにされることで自分の存在を認めさせようとする「否定的コントロール」の症状行動の可能性があります。
そのような状態にある方を「共依存症者」と言います。
もし、あなたがその症状に合致していても気落ちしないで下さい。
なぜなら、この症状は、「生きにくさ」であって、病気ではないからです。
そして、きちんと解決する方法もあります。
次に、もうひとつ、「否定的コントロール」についてお話します。
あなたがもし自己肯定感の低いままであれば、相手からこころを傷つけられることを恐れ、傷つけられないためにとる行動とは何だと思いますか?
そのひとつに、決してあなたのプライドを傷つける恐れのないペットなどの存在を自分の傍に置くというのがあります。
時折、猫や犬を何十匹も飼っているニュースを耳にします。
それは、もしかしたら動植物を愛しているというよりは、動植物によって癒しを受け、愛されているケースが多いかもしれません。
本来、人間は動植物を愛で持って管理する主体の立場です。
「この子だけは私の味方」「この子ったら私がいないとダメなのよ」・・・・・。
対等な人間関係を築けないと、動植物との関係のみで自己のプライドを守ろうとします。
イエス様は、「わたしと父とは一つである」。ヨハネ10:30と仰いました。
動植物のこじれは、人間関係にあるようですが、その根本の関係のこじれは、どうやら
神様との関係にあるようです。
神様との関係の回復こそ、全ての関係の改善回復になるとイエス様が示唆しているように感じます。
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