2013年04月17日

関係性の根本解決とは?

希望通りに入社したにもかかわらず、退職する理由として、たとえ仕事内容が気に入っていても、上司や同僚との関係を苦にしていることがベスト3位以内に入ります。

人間関係の円滑さは、親密な関係と言えます。
その親密な人間関係を築く上の大前提として、「自分は自分」という自己肯定感が必要です。

その「自分は自分」とは、どういう意味か?

自己肯定感のある人は、親密な関係を相手に求めた時に、たとえ相手がそれを拒否しても別段相手を恨むことなく距離がおけます。
また、自己肯定感のある人は、上下関係のない対等な人間関係を結べる人でもあります。

ここで言う「自分は自分」とは、互いに自律した関係であり、相手のこころのお世話や、問題によって引き合っていない、寄り掛かっていない関係です。もちろん弱みなど握られていない関係です。

もし、あなたが相手の問題に必要以上に介入したくなったり、あなたの手助けが必要のない自律している人と一緒にいるとなんだか落ち着かないという経験がおありでしたら、それは親密な関係を築いているとは言えません。

その状態は心理学でいうと、適切な高さで自己を評価できない「自己愛の障害」、そして相手の世話を焼いたり、相手に頼りにされることで自分の存在を認めさせようとする「否定的コントロール」の症状行動の可能性があります。

そのような状態にある方を「共依存症者」と言います。

もし、あなたがその症状に合致していても気落ちしないで下さい。

なぜなら、この症状は、「生きにくさ」であって、病気ではないからです。
そして、きちんと解決する方法もあります。


次に、もうひとつ、「否定的コントロール」についてお話します。
あなたがもし自己肯定感の低いままであれば、相手からこころを傷つけられることを恐れ、傷つけられないためにとる行動とは何だと思いますか?

そのひとつに、決してあなたのプライドを傷つける恐れのないペットなどの存在を自分の傍に置くというのがあります。

時折、猫や犬を何十匹も飼っているニュースを耳にします。
それは、もしかしたら動植物を愛しているというよりは、動植物によって癒しを受け、愛されているケースが多いかもしれません。

本来、人間は動植物を愛で持って管理する主体の立場です。
「この子だけは私の味方」「この子ったら私がいないとダメなのよ」・・・・・。
対等な人間関係を築けないと、動植物との関係のみで自己のプライドを守ろうとします。


イエス様は、「わたしと父とは一つである」。ヨハネ10:30と仰いました。

動植物のこじれは、人間関係にあるようですが、その根本の関係のこじれは、どうやら
神様との関係にあるようです。

神様との関係の回復こそ、全ての関係の改善回復になるとイエス様が示唆しているように感じます。




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2013年04月09日

感謝と満足

愛する子どもが父母の前で死んで行くとすれば、誰が不憫でしょうか。

もちろん、父母よりも先に死んでしまう子どもは不憫ですが、その子どもを見つめる父母はもっと不憫です。

けれども、死に直面している子どもが、
現実に押し潰されそうな状態の中にあったとしても、
自分以上に自分が死んだことに悲しみと苦痛を感じる父母がいることを知って、
何らかの形で父母を慰労するメッセージを残そうとしたとするならば・・・・・・。


その子どもの行為は、結果的に父母と子どもの両方を慰労するのだと思います。


父母と共にあった人生が、
父母の子どもとして生きたことが、
最高の喜びであり、感謝だったことを回想する中で

子どもの心の中にあった不安や恐れは、いつしか慰労され愛情へと変わり・・・・・・。


底の見えない悲しみの沼地に沈みゆく悲惨な父母の心は、
子どもの労わりのメッセージによって、
父母へ希望と慰労のロープを投じます。


全てを感謝し、満足する心は、悪魔サタンとて断ち切られるのだと信じます。




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2013年04月04日

感謝は気づき

事なきを得た。
何かの災難などに遭遇したものの、大事に至らなかった時に「事なきを得た」と使いますが、そういう時は神様を信じない人でも何かに向かって、「守られた」などと感謝を表明する気持ちになるものです。


しかし、何の災難もなく平々凡々と過ごす日常に身を置き続きると、何事も起こらない事が当たり前となり、うっかり感謝を忘れていることに最近気づきました。


大事が小事で済み、小事が何もなく済めば、現象を通して感謝するタイミングに気づきやすいですが、これからは、何事も起こらない日常こそ最高の「守られた」状態であるという認識をして行きます。


大事は 小事(しょうじ)より起こる。

そのような日常の連続の中に、大事に至る前兆である小事に気付き、事なきを得る者となるのだと感じました。


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posted by 桃缶 at 10:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 家庭・日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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