彼の心は、未来の環境への期待と希望に満ちており、過ぎゆく環境には(卒園式の雰囲気でどうなるか知らないが)今のところ未練も悲壮感の類はみじんも無さそうだ。
その一方で、毎朝彼を保育園まで送って行った私は、と言えば恐らく大多数の親の例にもれず、成長したわが子への喜びの心と同時に、今までの息子との楽しい朝の日課があと数日で無情にも絶たれてしまう(ちょっとオーバーか

さらに女々しさついでに(そんなついでがあるかよ

息子曰く「ぼく、いっぱいべんきょうして100てんとるんだ」
娘曰く「学校終わったら家にまっすぐ帰れるのが楽しみ、それから夏休みも、冬休みも毎日学校に行っていたから長い休みも楽しみ」
先日、学童を卒所する娘と一緒にお風呂に入りながら
「たった3年前に入学したばかりなのに、もう学童が要らなくなるまで大きくなったんだね」と娘に言ったら
「え!?たった3年じゃないよ!」と怪訝な顔で返された。
確かにそうだ。
先月44歳になった私には、3年はほんの一部分であっても、
同じく先月9歳になったばかりの娘には、3年間は決して短くはないのだから、
「たった3年じゃないよ!」と言われるのは当然だ。
大人も子供も同じ時間に生きてはいるが、子どもの時間は一瞬一瞬一日一日が長く大きく深いものだし、それに伴って成長も変化も早いものだ。
この間できなかったことが今日できている。
この間届かなかったところに手が届いている。
この間までお世話になっていたところを今日から行かなくなった。
こんなことの連続の中で、大人になるのだから
妻と括目して子ども達を見守ろうじゃないか。
そして、自分たちも成長する努力をしていこう。