2015年08月07日

「ぼんやりとした不安」に思う

生まれることは生まれましたが、「私」が生まれようとして生まれたのではなく、生きていることは生きていますが、「私」が生きようとして生きているのではなく、死ぬことは死にますが、「私」が死のうとして死ぬのではないのです。それなのに、自分の何を誇るのでしょうか。自分自身が生まれたくて生まれることもできず、何をもって生きることもできず、死の道を避けることもできない自分を誇ってみても、哀れで寂しいだけです。生まれたので生きなければならない運命であり、またそのように生きて逝くべき運命なのです。
天聖経/第四編/第四章/第一節より


事実生まれたいと思ったから生まれたのではなく、死にたくないと思っても死を回避できない「私」を改めてここに考えてみる。

真っ先に思い浮かんだのは、芥川龍之介最晩年の代表作『河童』(1927年2月発表)である。

御存じない方には、その前後を読まないと要領を得ないかも知れないが、先の天聖経の内容と対比すると思った部分を以下に抜粋する。


河童もお産をする時には我々人間と同じことです。やはり医者や産婆などの助けを借りてお産をするのです。けれどもお産をするとなると、父親は電話でもかけるやうに母親の生殖器に口をつけ、「お前はこの世界へ生れて来るかどうか、よく考へた上で返事をしろ。」と大きな声で尋ねるのです。バツグもやはり膝をつきながら、何度も繰り返してかう言ひました。それからテエブルの上にあつた消毒用の水薬で嗽(うが)ひをしました。すると細君の腹の中の子は多少気兼でもしてゐると見え、かう小声に返事をしました。
「僕は生れたくはありません。第一僕のお父さんの遺伝は精神病だけでも大へんです。その上僕は河童的存在を悪いと信じてゐますから。」
 バツグはこの返事を聞いた時、てれたやうに頭を掻いてゐました。が、そこにゐ合せた産婆は忽ち細君の生殖器へ太い硝子の管を突きこみ、何か液体を注射しました。すると細君はほつとしたやうに太い息を洩らしました。同時に又今まで大きかつた腹は水素瓦斯を抜いた風船のやうにへたへたと縮んでしまひました。


この頃の芥川が精神衰弱でなければ作品全体はファンタジーとして、又は世間に対する風刺や問題提起としても読めるのだが、やはり私は芥川自身がこの河童の胎児に自分を重ねさせ、生まれたいか否かの意志を確認させたことに非常にインパクトを受けた。
芥川は、「河童」を発表した年の7月27日(命日は「河童忌」と称されている)に服毒自殺を遂げている。
自殺の理由を「唯ぼんやりとした不安」と記したそうだ。


確かに人間にとって最も「ぼんやりとした」ものは、気付いたら生まれ、知らぬ間に死んでいたことなのかも知れない。
私自身も祖父母の葬式に参加した7歳ぐらいから、なぜ生んでおきながら、いつか死んでしまうのだろう。たった一度きりの人生ならばなぜ過去でも未来でもなく、今生まれたのだろう。今の家族をどんなに愛してもいつか順番に死んでしまうなんて辛すぎる。人生にとって死が悲しみなら、生きるとは一刻一刻確実に悲しみに向かうものじゃないか・・・・。
などと、数えきれないほど夜中に声を殺して泣いたことを懐かしく覚えている。
恐らく人生にとって一番大事な出生と死に対して、人間は一切関与できないことへの不安と恐怖があったのだろう。


厭世的になった人間にしてみれば、この河童の胎児の生まれることを望むか否かの選択権を羨ましく思うのかも知れない。
しかし、その選択権を持った瞬間に、喪失するものがあるはずだ。
1から100まで自分で管理する人生であるとは、つまり私自身には一つも「ぼんやりとした」部分はない。自分で選択し生まれ、決めたように死ぬだけだ。
人生の一番大切な出生と死を誰にも関与させないことは、人生の大切な部分が欠いていることにならないのか。
果たしてそれが、羨ましい人生と言えるのだろうか。

芥川は「ぼんやりとした」ものへのただならぬ不安や恐怖があったのだろう。それは、私も含め感覚の差こそあれ多くの人間の共通することだろう。

しかし、その「ぼんやりとした」部分にこそ、生まれた動機が自分で「生きた」ことではなく、「生かされた」ことになる。それはつまり、愛されて生まれたという人生の太い背骨になるのだ。

それさえあれば、天聖経にあるように迷うことなく

「生まれたので生きなければならない運命であり、またそのように生きて逝くべき運命なのです。」

という運命に身を委ねて(時に迷えど)生きて逝けそうです。


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posted by 桃缶 at 11:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 聖句・み言葉 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする