2009年07月29日

ストレート

親子の情関係が疎遠であったり親を恨んでいたりすると、親に対
する反抗や、親からの逃避という形でしか自立を表現することが
できなくなります。この場合、外的には親に逆らって親からの自
立を主張しているように見えても、内心には親を困らせて親の愛
を確かめたいという動機が潜んでいる場合が多く、本当の意味で
の自立とは言えません。



「本当は寂しいのに、家に寄りつかない」
「本当は愛されたいのに、ワザと憎まれ口を叩く」
内心の愛されたい思いとは裏腹の言動により、愛されたい人ほど
愛が遠ざかって行く。
仕舞いには「なぜ愛が自分には必要ないか」を意義付けする人もいる。
さらに欲しかった愛が遠ざかって行く。
素直になれないのは、愛に臆病な姿を隠す意地なのか。


また、そうした中で芽生える異性に対する愛情は、親から愛され
ない寂しさを埋め合わせるために異性の愛を求めるという動機が
強く、根本的に不安定で自己中心的な愛情になりがちです。
幸せな結婚へのパスポート:思春期の意義とその過ごし方



寂しいから求めた愛は、寂しさを埋めてくれれば良い状態にあるので
正常な判断力は既に失ってます。

親の愛に満たされ、幸せの中で出会う関係には、カーブもシュートも
牽制球も要りません。
素直なストレートで良いのです。



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posted by 桃缶 at 00:00| Comment(4) | TrackBack(0) | 聖句・み言葉 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
桃缶さんこんばんは、初めて訪問しました。
いつも私のブログを見てくれて、ありがとうございます。
これからも、よろしくお願いします。
Posted by toshisan at 2009年07月29日 00:29
少なからず、私たちはこうした歪みを抱えていて生きていますが、統一原理を通して、初めてこのゆがみを自覚し、ゆがみから解放されたように思います。
Posted by イエス様大好き at 2009年07月29日 22:48
過去の自分の言動が思い出され、恥ずかしく思いました・・・。
しかし、窮地に立たされた時、
今の自分はどれだけ踏ん張れるだろうかとも思います・・・。
Posted by 朔太郎 at 2010年09月07日 00:25
朔太郎さん
随分古い記事を読んで下さったのですね
とてもうれしいです

ご自身を客観的に判断できているのは、回復へ向かっている証拠です

自覚症状があるのですから!
Posted by 桃缶 at 2010年09月07日 01:14
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