「あなたは園のどの木からでも心のままに取って食べてよろしい。
しかし、善悪を知る木からは取って食べてはならない。
それを取って食べると、きっと死ぬであろう」。創2:16〜17
とあります。
しかし、その結果は、
「あなたが裸であるのを、だれが知らせたのか。食べるなと命じて
おいた木から、あなたは取って食べたのか」。創3:11抜粋
神様の意に反し、命じられた戒めを破り、人は取って食べたのです。
この戒めの意味を引くと、
注意、忠告、警告、説教、訓戒、訓告・・・
とあり、あまり楽しくなさそうな意味が連なっております。
起床時間に始まり、帰宅時間、就寝時間、家事の分担など家訓とまで
行かなくとも、家庭にはルールが必要です。
肝心なのは、家庭のルールをいかなる心持ちで守ろうとするのか
ではないでしょうか。
つまりルールを敷くことで、子供を危険から守ろうとしている。
さらに言えば、守らせることでより大きな者となって欲しい、大きな
ものを受け継がせたいと思っているのかも知れません。
神様の戒めを守っていたなら、人はどうなって居たのでしょうか。
戒めを破ったのでエデンの園を追放された、させられた・・・
と見るのではなく、もしかしたら神様は、戒めを守り切った人のために
最高最大のサプライズの祝賀を準備していて、それを何一つ披露する
こともできずに、ただ黙々と片付けざるを得なかったのだと仮定すると
どうでしょうか。

Psalm 34:18 (Clouded Heart) / Lel4nd
戒めに込められた神様の心情に、時折自分の心を向けてみます。
・・・・◆・・・・・◆・・・・・◆・・・・・◆・・・・・◆・・・・
ご覧頂き感謝です。
宜しければ


にほんブログ村
・・・・◆・・・・・◆・・・・・◆・・・・・◆・・・・・◆・・・・
【関連する記事】
今、宮崎県で起こっている口蹄疫も、もしかしたら、神様から人間に対するメッセージなのかも知れないと思う、今日この頃です。
それにしても、何故、宮崎県ばかり打たれるのだろう・・・
そう言えば、鳥インフルエンザもそうでした。
頑張れ、宮崎県!!!
(↑叫びたくなりますね。)
戒めというものは、どこでも必要なんじゃないかと思いますね。ルールを守ることによって自分自身が守られるというのもありますし、守ることで得られるものがあり、守ることで大きなものになれる。
守りきった者のためのサプライズ・・・ですか。
ほんと、守りきれる人になりたいっす。。。
ためになるブログアリがとうございます!
コメントありがとうございます
戒めを愛の言葉に聞こえるかどうかは、聴く立場によって違うのですね
実際、聖書で表現されている神様が時代背景やそれを書かれた人物によって違ってたんだなぁと思ったりします
改めて神様の心情に無知になったとは悲しいことですね