「おっかさんは、ぼくをゆるして下さるだろうか。ぼくはわからない。けれども、誰だって、ほんとうにいいことをしたら、いちばん幸せなんだねえ。だから、おっかさんは、ぼくをゆるして下さると思う。」
これは宮沢賢治作の『銀河鉄道の夜』の中で主人公ジョバンニと親友のカムパネルラが銀河旅行の旅路でそれぞれ違った場面で二人が語った言葉だ。
順に私なりの解釈を加えると、ジョバンニとカムパネルラの二人が旅路で乗り合わせた少女の「さそり座の話し」を聴き、命を掛けて役に立つことの大切さに心を打たれ「本当のさいわいのためにどこまでも(カムパネルラと)一緒に行こう」とジョバンニが語った。
次は少々複雑になっており、この摩訶不思議な旅行自体の深層に密接な関係を持たせている。
二人は親友ではあったが、家庭内に複雑な事情を持ち貧困なジョバンニはザネリという意地悪なクラスメイトを筆頭としてからからかわれており、カムパネルラは何もできぬままザネリのグループに引き入れられていた。
そして、ある日の夕刻、ザネリ達からからかわれた後に草むらに寝転がって星を見ている最中に疲れて寝てしまい、さらに丁度同時刻に川に落ちて溺れているザネリをカムパネルラが救助したものの、そのまま彼は川で力尽きてしまった・・・。
この銀河鉄道の夜の旅は、寝ている最中のジョバンニと死の間際を彷徨っているカムパネルラの二人が実際は数分の旅だったのだろう。
それを踏まえて先ほどの
「おっかさんは、ぼくをゆるして下さるだろうか。ぼくはわからない。けれども、誰だって、ほんとうにいいことをしたら、いちばん幸せなんだねえ。だから、おっかさんは、ぼくをゆるして下さると思う。」
を見直して頂くと以下のような感じだと思う。
親より先に死んだぼくを母はゆるしてくれるだろうか?けれども、ほんとうにいいことのために命を掛けたのだから、ぼくは幸せなんだ。だから、きっと母はぼくを理解してくれて、ゆるしてくれると思う。
きっとカムパネルラは、仲間外れにされているジョバンニをただ見ていることしかできなかった自分を嫌悪し、責めていたのだろう。
そんな負債感に苛まれる中で、ほんとうの正義のために命を掛けられたことに、カムパネルラは久しぶりに胸を張れたのかも知れない。
ほんたうのさいはひは一體何だらう?
宮沢賢治は何だと言いたかったのか・・・・。
皆さんはどのように思われますか?
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