2015年06月28日

「出来事」を「きっかけ」に

人生の転機は、生きていると何度か遭遇する。

学生では、進級・進学・卒業など
社会では、就職・人事異動・リストラ・転職・退職など
生活内では、結婚・出産・家族の死などの「出来事」だ。

事前に時期が決まっていることは別として、この「出来事」に遭遇すると、私も含め多くの人は

「えっそんな急に・・・」

「いや〜突然で驚きました」

などと思いやすく、言いやすい。

しかし、実際に人生の中で突然ではない「出来事」の方が少ない。

私は、自分の計画の範疇外の「出来事」を、神様から与えられたものだと信じるようにしている。

もちろん望まない、考えたくもない「出来事」もあるはずだ。しかし、それを神様から与えられたという視点や心がなければ、「出来事」が怒りと怨みの火種になる可能性が大きいだろう。
とにかく、私は人生で起こる「出来事」は全て神様が与えてくれたと信じると決めている。


そしてさらに、「出来事」それ自体が人生の転機に直結する訳でもない。
結局「出来事」を通して、自分の心の中に「出来事(きっかけ)」を起こさない限り、「出来事」は目の前をただ素通りするだけだ。なので「出来事」の大小は関係ない。

さてと・・・
私はこのたび、人事の辞令を受け、10年お世話になった拠点を後にする。
これも神様から与えられた「出来事」なので、人事を天事と受け止め、喜んで出立しよう!
そして、お世話になった恩を次の拠点と神様にお返しできるように努力したい。

みなさま、今まで本当にお世話になりました。
ありがとうございました。

では・・・・・またお会いしましょう!


道ばたに御言がまかれたとは、こういう人たちのことである。すなわち、御言を聞くと、すぐにサタンがきて、彼らの中にまかれた御言を、奪って行くのである。同じように、石地にまかれたものとは、こういう人たちのことである。御言を聞くと、すぐに喜んで受けるが、自分の中に根がないので、しばらく続くだけである。そののち、御言のために困難や迫害が起ってくると、すぐつまずいてしまう。また、いばらの中にまかれたものとは、こういう人たちのことである。御言を聞くが、世の心づかいと、富の惑わしと、その他いろいろな欲とがはいってきて、御言をふさぐので、実を結ばなくなる。また、良い地にまかれたものとは、こういう人たちのことである。御言を聞いて受けいれ、三十倍、六十倍、百倍の実を結ぶのである」。マルコ4:15〜20

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posted by 桃缶 at 12:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 家庭・日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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