2018年01月30日

結婚は相手によって再構築するもの

「結婚とは、一度個人として確立したものを、相手を通して再構築することである」をテーマで綴る。

私は、家庭を持った当初、妻と意見が喰い違うことが多く、大抵は口論にまで発展した。そんな妻との言い争いの渦中で「フツウはこうじゃないの」、「これが常識だよ」と私は言うことがよくあった。そうすると「フツウって何よ!私(妻)は異常だとでも言いたいの!?」と妻の怒りをエスカレートさせた。

いわゆる、「自分は正しい、あなたは間違っている」という稚拙短絡的な思考であり、夫婦を共同体ではなく、分離した個体でみていた。
この際だから、もう一歩踏み込んで言おう。妻を怒らせた原因は、「フツウ」という言葉が本質ではない。その言葉の裏にある私の動機にあった。
それは、「自分の方が知っている、自分の方が常識的だ」という私の思い上がりだ。
もちろん、そのように解説して妻は訴えたりしないが、次の一言が妻の心を集約している。

馬鹿にするな!」

私は幼いころから少し意地が悪いところがあり、ひねた見方をする。育ちのせいだと言いたいのだが、弟は至って素直な性格だ。
兄弟の中で一番叱られることが少なく、社会に出ても面と向かって叱られることも滅多にない私に対し、言いたいことを、言いたい分だけ言ってくる妻の性格は近頃やっと有難さを感じるようになった。

お陰様で、妻の喜怒哀楽の反応を通して、私というものが相手にどのように映り、感じさせているのかが、そのまんま跳ね返ってくる。もちろん、妻も聖人ではないので、その時の虫の居所もあるので「そのまんま」は言い過ぎではあるが、課題問題点は自分だけに当てはめるのが鉄則だ。

今回のテーマは「結婚とは、一度個人として確立したものを、相手を通して再構築することである」としたが、結婚以前の自分(思考・価値)を保ち続けることに、固執すればするほど、結婚・家庭生活が破綻する。確立されたはずの自分を解体し、夫婦用に、そして家族用へと改築するのが結婚・家族なのだろう。

音楽家の松居和さんの言葉を借用すれば、そもそも男女は「相対的発達障害」だと言う。

確かに神様が、宇宙のすべての存在を、「陰陽の法則」で成り立つように創造されたのであるならば、そもそも男女が単独で成り立つように、お創りになっていない。なので、結婚後は単独だった過去の自分を解体し、家庭用の新たな自分への改築が必要だ。

「人をさばくな。自分がさばかれないためである。あなたがたがさばくそのさばきで、自分もさばかれ、あなたがたの量るそのはかりで、自分にも量り与えられるであろう。なぜ、兄弟の目にあるちりを見ながら、自分の目にある梁を認めないのか。自分の目には梁があるのに、どうして兄弟にむかって、あなたの目からちりを取らせてください、と言えようか。偽善者よ、まず自分の目から梁を取りのけるがよい。そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目からちりを取りのけることができるだろう。」(マタイによる福音書7章1〜5節)

娘も今春いよいよ中学に進学する。また、私も今の職場を退職し、新たな出発をする予定だ。
新天地に向かうための、改築工事を始めよう。



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2017年03月09日

一刻千金

子供の成長は目まぐるしい。

つい先月11歳になったばかりの長女が今春、小学校最高学年である6年生に進級する。
まだ家族と一緒の布団で寝て、お風呂に入って、身長も一学年下の平均身長ぐらいしかない娘である。

しかし、童謡の「赤とんぼ」歌詞の「十五で姐やは嫁に行き」ではないが、これまでの10年間と同じように、これからの5年間も同じように娘と接していると、あっという間に置いてきぼりにされて、どう関わってよいのか戸惑うのだと思う。
そして、何より一番戸惑うのは大人の女性として急激に成長する娘自身なのだから、家族、父母が娘の心の支えとなって挙げたい。

これから5年後の私と妻・・・。
見た目は今より白髪の数が増え、努力しない限り体型も横に下にと向かう程度の変化はあるかもしれない。
しかし、その期間で毎日カチッカチッと確実に減っているのが、愛おしい子供たちと当たり前のように生活圏を共にしながら、その成長を見守り、寄り添える時間だろう。
この子供たちと共にいる時期にしか決して経験できない親としての貴重な体験を一刻千金として過ごしていきたいと改めて決意させられる。

ここ一か月前から、今春3年生になる息子が私と毎朝サッカーがしたくて、6時半に起きるようになった。そして、10日前ぐらいからは、私と妻が祈祷会する5時半に一緒に起きだしている。さらに4日前ぐらいからサッカーの後は、グランドの清掃も始め、朝食もよく食べ、登校も20分も早くなった。
たった一か月で生活のリズムが改善された。

同じ時間を過ごしているが、子供の流れる時間も成長も迅速だ。
特に遊びなんかは子供に何か願われて、親が「え〜」とか「ちょっと待ってね」とか言っている間に、子供はサッサと次の取り組みを開始してしまっている。あとから親が「じゃあ、やろうか」なんて言っても、「ああ、もう大丈夫だよ」なんてことになりかねない。
対応の遅さで、成長・改善の要素を摘んではもったいない。

祈祷会後
「パパ、サッカーいこう」
「うん、わかった」

父と息子の千金の時間だ。


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2015年12月20日

文化破壊に戦略利用された「LGBT」

再投稿です

人権を声高に叫ぶ発信元を手繰り寄せると、共産党か左翼思想に辿り着くと言っても過言ではない。
「目的のためには手段を選ばない」のが共産主義の常套手段と言われるが、冷戦後に暴力革命は捨てた。新たな革命の手段は文化破壊であり、目的は既存の家族制度を否定・破壊することにある。
家族から結婚と性を分離させれば家族としての機能を失うが、家族文化は宗教的伝統によって支えられている。
共産党や左翼が個人の人権や決定権を主張しているのは、文化破壊から家庭破壊という明確な狙いがある。

沖縄問題も「自己決定権や人権を蔑にされた」と翁長雄志知事が国連演説までして訴えた。
また来夏の参院選から18歳投票が可能となったが、これも日教組が「子供の権利」を主張して広がった経緯がある。果たして有権者になった高校生と毎日顔を合わせる左翼教師が生徒に思想的影響を一切与えずにいられるのか。
さらに、安保法案にしても、個別であろうと、集団であろうと、「自国の安全を守るのが自衛権であり、国民の命を守る責任」を強調するのは至極当然なはずだが朝日新聞などの左翼メディアに掛ると「戦争できる国」「立憲主義の破壊」だと穿った解釈をして、「群れる側」の民意を捉える。
合計1億人とも言われている大量殺戮を実行した共産党が人権と安全を叫ぶとは、度胸は据わっているがまったく感心もしない。

そして、渋谷区から始まった同性パートナーシップ条例も今後の地方公共団体の動きに注視しなければならない。
渋谷区に早々と追随したのが、都内では中学時代から学生運動で事件を起こした極左の保坂展人区長の世田谷区。また近ごろ保坂区長と同じ「土井チルドレン」と呼ばれた中川智子市長の兵庫県宝塚市が条例制定した。さらに、林文子区長の神奈川県横浜市なども着々と条例化に向けた草分け運動を展開している。
この条例は中々取り扱いが難しく、これに少しでも異を唱えようものなら性的少数者に対する差別、古い価値観に縛られた権威主義者などと雨霰の猛攻撃を受けるため、保守系の政治家たちも慎重にならざるを得ないのが実情だ。

冷戦の敗北により、レーニン・スターリンの主導した暴力革命は共産主義社会実現のための手段としては間違いだったと認め、外面(そとづら)はソフト路線に変え、長期戦略としての文化破壊を目標とする文化共産主義へと戦略を変えた。

その文化破壊は上から押し付けて実現できるものではないので、文化を支えている様々な制度を転換させる必要がある。そのためには、芸術、演劇、教育、新聞や雑誌などの媒介を用いることを基本戦略にせよと主張したのはイタリアの思想主義者アントニオ・グラムシだ。

また、家族制度の破壊こそ文化破壊の手段であり、その推進には性欲望が組織的暴力やテロ以上の力を発揮すると着目し、既存の家族倫理や一夫一婦制からの解放を繰り返し主張したのがハンガリーのジェルジ・ルカーチだ。
このルカーチが基点となってドイツ共産党員らがフランクフルトに「マルクス思想研究所」を創設し、後に「フランクフルト学派」と呼ばれる思想グループとなり、彼らの研究が土台となって1960年代の米国「性革命」に決定的な影響を与えることになる。
彼らは、西洋人がキリスト教精神を捨てるためには、「忍耐強く文化を支配すれば、国家は労せず崩壊する」と主張した。さらに、徹底してキリスト教を基礎に形成された西洋文化体制を批判した。
彼らは、こうして人種差別、性差別、同性愛嫌い、そして反ユダヤやファシズムの容認はすべて西洋文化にあると断罪したのである。
実際、当初キリスト教国家は同性婚に強く異を唱えた。しかし、その同性愛者への非寛容さが仇となり過激な権利獲得運動を生むことになった。
その運動を取りまとめ「憲法」体制の変化まで戦略的に持続させたのが、他ならない文化共産主義だ。
結局キリスト教国家は贖罪のような形で、2000年以降今日までオランダから始まり、21ヶ国のキリスト教国家ばかりが同性婚合法化を決定した。

文化革命の「被害者」はもちろん労働者ではない。性的少数者やフェミニスト等こそ新たな「プロレタリアート」であり、この性的少数者の人権を声高に連呼し、人心の同調を獲得している。このように長期戦略で文化革命、既存の家族制度の解体が、進められようとしている。
そしてこの新たな「プロレタリアート」の武器はハンマーと鎌ではない。ピルとコンドーム、セックスとドラッグなのだという快楽原理を主張したのがフランクフルト学派の中心的人物であるドイツのヘルベルト・マルクーゼだ。彼は家族制度の崩壊こそが性差別と社会不正の温床であるとし、「戦争よりもセックスを」と呼びかけた。

性差別を無くしたい、誰もが平等という主張は、共産主義の本音ではない。共産主義社会実現の目的のために「LGBT」は利用されているに過ぎない。
冷戦時にソ連・共産党は、アメリカ・キリスト教国家に敗北したが、キリスト教国家陣営に共産主義が浸透しなかった背景には、家族文化があったからだ。その家族文化には、キリスト教精神が根差していた。だから戦略として家族制度を変えなければいけないこととなった。

このように「LGBT」は文化革命に欠かせない武器として利用されている。

既存の家庭制度を現代に合わないとして否定し、夫婦別姓、事実婚、同性婚、多様性、第三の性などを周囲が温かく手を差し伸べるという価値観が既に「文化」へと変わり始めているのだ。
それは、元NHKアナウンサー下重暁子が自身の家族に対する怨恨感情(ルサンチマン)を延々と述べて、家族解体論を披歴するという文学作品とは到底言えない「家族という病」がベストセラーになったことからも窺い知れる。今や下重氏は「おひとりさま」思想の広告塔のような存在だ。

世界人権宣言第16条3項には「家族は、社会の自然かつ基礎的な単位であって、社会及び国家の保護を受ける権利を有する」とある。

同性婚家族の存在を否定しないが、「LGBT」や同性婚家族を利用する共産主義の存在は否定する。
多様性の容認や、優しい社会を作ろうなどと言ったスローガンの裏にある「文化革命」に頑として手を貸してはいけない。

また、それと同時並行に、普遍的価値観、倫理・道徳、家庭の見直しと再建に手を加えるべきだ。同性婚家族を「自然且つ基礎的単位」と位置付けることにも無理があるにも拘らず、そこを強引にこじ開けて性差別だ、不平等だと無理を通すことは、既存の「自然且つ基礎的単位」の思想信条をもっている者への自由が脅かされるという「逆差別」が起きている事も決して忘れてはいけない。

文化革命推進派は既存の家族制度は独裁制の根源、性差別と社会不正の温床だという。彼らの策動を阻止し、克服するためにも、家庭の価値を再認識し、再構築する啓蒙と努力がより一層肝要だ。


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