2009年10月09日

愛のために(下)

仕事が人生の全てではないと誰もが知りつつも、実際はその務めた仕事
により、成長できる幅はある程度決まるものです。

ましてや・・・
「わたしは、○○だから営業にした。」
「自分は、○○なので事務となった。」
などの様に、自分の性格から適職を探すことは、決して珍しい事でも
ありません。

しかしこれでは、仕事はできても、自分自身の器が成長する可能性を
早摘みする様なものです。

あらゆる職業が、愛を成長させ、完成させるための目的で経営されて
いるのであれば、少々の職種がらの『癖』ぐらい甘受できます。

しかし、たとえどんなに出世しても、昇給しても、独立して起業したと
しても、『愛がなければ無益である』という聖句を思う瞬間に、すべて
が振り出しに戻るのです。

そんな葛藤の頃から、早いもので20年以上・・・

大した事が出来ていない自分も、時には忙しくて疲れたりもします。
そんな時、神様と人類のために生きる中で、愛するための疲れであり、
苦労だと思い返せる目的がある事実が、何よりの慰労となってます。

『愛がなければ、いっさいは無益である』

Long exposure of Silver Falls, Mt. Rainier National Park / Alaskan Dude

無益ではないという自負心と誇りを持てる今に、ただ感謝です。



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2009年10月08日

愛のために(上)

たといまた、わたしに預言する力があり、あらゆる奥義とあらゆる知識
とに通じていても、また、山を移すほどの強い信仰があっても、もし愛
がなければ、わたしは無に等しい。たといまた、わたしが自分の全財産
を人に施しても、また、自分のからだを焼かれるために渡しても、もし
愛がなければ、いっさいは無益である。
コリントT13:2〜3


この13章は『愛の賛歌』とも呼ばれているところで、愛を信仰の上に
位置づけながら、『あらゆる奥義とあらゆる知識とに通じていても、
山を移すほどの強い信仰があっても、愛がなければ無益である』と
パウロが喝破して教えております。

わたしが社会人になる前のことですが、この『愛がなければ、いっさい
は無益』という聖句ゆえに、将来について困惑させられました。

もちろん、仕事により成長させられますし、結局は出世や大成するにも
人格は無関係ではないので、仕事で愛が成長しない訳ではないのは理
解できました。

Modern faith / Goldemberg Fonseca

しかし、『愛の成長のために』と『結果的に愛の成長にもなった』のと
では、根本的に大きな開きがあるように直感したのです。

結果的に社会貢献しているんだから・・・
結果的に人の役に立っているんだし・・・

これでは、「無益」に向かうと直感したのです。



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2009年10月01日

暗闇(下)

真っ赤な夕日、青い空、白い雲、緑の草原、黄土色の銀杏並木・・・
見えた状態から、視力を失った方であれば、その色彩を思い出せます。

しかし、生まれ持って視覚に障害をお持ちの方に、どんな言葉を並べて
色彩の説明をしたとしても、残念ながら一見すること以上の説明をする
ことはできません。

Luster / Nicholas_T

先の聖句の盲人は、ひたすら見えることを願っていました。
生まれ持って目を見ることに使ったことのない盲人が、見えることを
信じることは容易ではないように感じます。
しかし、盲人はイエス様によって癒されることを信じていました。

だからこそ、イエス様が
『わたしに何をしてほしいのか』と尋ねられた時に、
『先生、見えるようになることです』と躊躇も自嘲もせず、端的に盲人
は信じたままに答えることができたのです。
その信仰を受けて『あなたの信仰があなたを救った』とイエス様は愛を
持って報いられ、盲人は、たちまち見えるようになります。そして、
すぐさま盲人は、その愛に応えてイエス様に従って行きます。


『あなたの信仰があなたを救った』

その信仰はわたし達の側に必要です。



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