2009年08月26日

勇者とは

怒りをおそくする者は勇士にまさり、
自分の心を治める者は城を攻め取る者にまさる。箴言16:32



箴言とは、金言・格言などと同じ意味を持ち、教訓や戒めを短い言葉で
集めたものですが、現代では聖書でも読まない限り、使わない言葉かも
知れません。
時代が変遷しても、常に当代の人々の心を捉え続け、変わらないものが
ある事を、この『箴言』は教えてくれます。

わたしが小学校高学年の頃に『苦言を呈したい人が居た場合はどうした
ら良いのか?』ということを、母から教わったことを、今も大事にして
いることがあります。

それは『三日経っても、言わなければいけないと思うなら言ってもいい
かもね』と言うことでした。
これについては、言われた意味を理解するより先に、実際言われた通り
にやってみて実感で理解する方が早かったと記憶してます。

大抵の場合は、三日もしない中に・・・

相手の考えや行動が、ほんの少しだけ自分の正義と反りが合わないだ
けだったり、または相手のためと信じ込みながら、実は自分の器の小さ
さが生んでしまった怒りや恐れであったとに気付かされ、『言わなくて
良かった』と胸を撫で下ろすことがほとんどでした。

strides out / jenny downing

今は、自身を公的な立場に立てているか、怒っている・真剣なんだぞと
いう顔をしていることを心が平静に自覚しているか、そして、そもそも
人の事以上に、自己鍛錬が主体であることを見直し、反省します。



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2009年08月11日

図りなき人生

人間において愛は永遠なるものであり、二つではなく一つです。
男性と女性の間が愛で結ばれれば、地上で夫婦が年を取るまで
仲良く連れ添わなければならないし、死んでも永遠に生きていく
ようになっているのです。『真の家庭』



「あなたは、もし生まれ変わっても今の配偶者と一緒になりますか?」
こんな質問をすると一般的に「はい」以外の回答も多そうです。

「霊界があるからこれはしてはいけないな・・・」
「どうせ死んだらすべてが無になるんだし・・・」
「また生まれ変わってやり直せるし・・・」

「死んだらどうなる?」を探求することにより、少なからず今の生き方
に反映されます。しかし、そこを詮索して人生を選択するのは、動機が
純粋に保てない危険を感じます。
恐らく・・・
「霊界など無いから何をしたって全てはチャラ(御破算)だ」
「あの世(霊界)のために積善しないと報われないよ」
といった「霊界が有る・無し」によって、今ある人生を要領よくポイン
トを稼ごうとしたり、安易な打算的人生に向かうような死生観が単純に
「嫌なんだ」と思います。

それもあって、「極楽」や「天国」に入るために宗教を信じた人に魅力
を感じませんでした。自分が良い所・高い霊界に行くために入信して、
布教伝道も自分だけ救われると「ばつが悪い」ので仕方なくやっている
ような嫌悪感もありました。ですから、そんな浅ましい動機で行ける
「天国」などは、まったく興味も関心もありませんでした。

そういう理由もあって、天国創建・実現のために歩まれる文先生の
高邁な理想に出会うまで、何にも属さずに神様を信じてました。

霊界についても、そこを問いながらチマチマ生きるよりも、霊界が有ろ
うが無かろうが遜色ない人生を、歩むのが一番だと思ってました。
それが天理教の祖母から教わった陰日向(かげひなた)のない正直な
人生であり、今日、文先生から学んだ影のない人生(正午定着)なんだ
と解釈してます。

とりあえず、今は永遠に一緒で居たい夫婦と、天国理想実現を目指して
向こう側に本当の永遠があれば万々歳ですかね。

Heavenly Flower / zeevveez

霊界は死んでからある世界ではなく、今ここにある世界です。




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2009年07月28日

如何に人生の最後を

朝の出発で家族と別れ、帰宅して再会します。
夜の就寝で別世界に行き、朝に目覚めて再会します。

この繰り返しのどこかで、行ったきりになります。


16歳の夏休みの終わりかけたある朝食中に、友人からその日の講習の
問い合わせ電話が掛って来たので、食卓を抜け出ました。友人と話し
ながら、何となく食事中の家族を振り返りました。
すると、見えるはずもない、父の後ろの壁が透けてました。

電話を切ると、残りの食事を済ませて、急いで学校へ向かいました。

そして、それっきり父とは目に見える形で会えなくなりました。

「あれが最後の姿だったんだなぁ」と現在まで、その時の情景を何度
振り返ったか知れません。
人は不思議な事に遭遇しても、どこか頭の違う部分でぼんやり静観して
しまうのか?それとも現実に起こった事と認識するのが遅いのか?
「これは異常な事態だ!」
「何かの徴候ではないか!」
とは、上手く行かないものなのでしょうか。

「もしあの時自分が〜」「なぜ学校なんかに・・・」
一番肝心な時に、勘の鈍い自分を何度責めたか、わかりません。

文先生は「寝る前は、霊界に行く練習なんだよ」と言われるそうです。

そのまま目覚めなくても、後悔しない積み重ねの延長に、霊界で目覚め
るのですね。

過去の行為を悔いて、良心の呵責にさいなむ事を「寝覚めが悪い」と
言います。

「これが最後かも」知れない毎日の繰り返しを思うと、まだまだ
「寝覚めが悪い」日が多いです。

真心込めて「送り迎え、就寝起床」夏季特訓です。




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