2010年02月19日

家族基礎力について(上)

「家庭は縦軸と横軸の二つの軸を持っているとみなしてよい。
祖父母から父母、そして子どもたちへと世代を通じて走る縦軸と、
そして夫と妻、兄弟姉妹などの同世代の人々を含む横軸である」
アンドリュー・ウィルソン

このような観点で家庭を見つめると、その縦横の軸の延長に社会、
国家、世界がある訳ですから、各家庭の在り方、いわゆる
「家庭づくり」がとても重要になることに改めて気付きます。

ですから倫理的にも、道義的にも健全で、縦と横の愛情の深い繋がり
を体得した家庭、すなわち「家族基礎力(※YFWPの造語)」を
構築することが、先決の課題となります。

健全な家庭は、健全な社会基盤に結ばれます。



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2010年02月17日

教育以前に必要なこと(下)

教育学では、実質陶冶(とうや)という概念がありますが、現在の
多様化された価値観や政治や文化等のイデオロギーの中で、その
溢れる程の価値や基準を一元化して、「基本的な人間の在り方」、
「正しい価値ある生き方」などの概念が決定されるなどとは、到底
思えません。

「正しさ」、「本物で」、「立派な」の概念や価値を教育する人は、
多くいると思います。そうゆう言葉の魅力で、若者の心を燃やすこと
もできます。
しかし、実際は、その言葉を身にまとった体現者に出会うことなど、
滅多にない訳です。
ひょっとしたら、教育する側も、それがどんな人を指すのか
漠然としているのかも知れません。

ですから「正しさを示す人」、「本物を示せる人」、「立派で
あること」を大人たちが示すことが大切なのではないでしょうか。
たとえ今現在なってなくても、なろうと努力する姿勢を保ち続け、未来
を担う若者に実体を示すことが、最高の「教育」となるのではない
でしょうか。

「清く、正しく、美しく」が虚しい理想や空論ではないと感じられる
文化を築くことが必要であり、そのための
「人づくり、家庭づくり、国づくり」が希求されていると信じます。


まずは美辞麗句に振り回されて、堂々巡りで終わらないためにも、
四の五の言わずに、「すべきことをする」、「丸暗記する」などの
形式陶冶の概念は重要です。
それは、いわゆる「読み書きそろばん」、「話し方、訊き方、
まとめ方」などの反復訓練のことです。
その繰り返し学習こそが、胆力や集中力や克己心が育てられ、いつしか
「なしたいこと」が自然と発想できるのだと思います。



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2010年02月16日

教育以前に必要なこと(上)

「清く、正しく、美しく」とは誰もが良く耳にするモットーですが、
実はこれ、知る人ぞ知る宝塚歌劇団や阪急百貨店の創始者小林一三氏
の訓示でした。


わたしは中学の時に、自分の部屋の柱に「質実剛健」と「背水の陣」
という言葉を紙に書いて貼ってました。

飾らず、まじめで、たくましく、しっかりしよう・・・
決死の覚悟で事に当ろう・・・

その言葉に魅了され、「そのようになろう!」と心が高鳴り、毎日の
ように、柱の紙切れを確認したものです。


しかし、残念ながらその現実は空回りの連続でありました。
純粋な少年の心を打ち鳴らし、惹きつけた格言が、日常の現実を照らし
てくれ、道を切り拓くほどの効力はありませんでした。


恐らく、何が飾らない生き方なのか?まじめとは?たくましさとは?
しっかりとは?というような基礎、基本であるはずの言葉が、実は曖昧
なものであり、イメージ化が出来なかったためだと推測します。

また「背水の陣」といった峻烈な覚悟に魅了されたとしても、平穏な
日常を脅かす、絶体絶命の状況を命懸けで突破するほどの境地に出く
わすことは実際に起こらなかったので、次第に、「もしもの時の
ために」常備してあった乾パンが、気付いたら賞味期限が切れていて
捨てられてしまうように、当時のわたしの「座右の銘」の紙切れも、
クシュッと手に握られて、ゴミ箱にポンと捨ててしまいました。

もちろん、「もしもの時に」備えたものが使わずに済んだという
ことは、平穏無事であった証拠であり、感謝することです。

「備えてあったのに使えないなんてつまらない」なんて考えは、
長じれば、もしものために「核兵器」を作って置いて、「せっかく
作ったのだから実験したい」、「実際の戦時中に投下したい」と
言うのと、さして変わらない発想になってしまいます。


果たして、正しい生き方とは何か?本当の生き方とは何か?
という難問題に迷宮入りしてたものです・・・。



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